チッタゴンにて(2)
1993年2月14日
ベタギ村での最初の朝。みんな早起き。朝はお祈りの時間らしい。6時から始まる。ここの仏教徒達の顔は、他のベンガル人たちと違って、どちらかと言えば黄色人種に近い。ミャンマーに近いからかな。
夕方、ここの仏教のコミュニティの子どもたちと一緒に、この孤児院で延々と歌を歌った。みんな歌をびっくりするほどたくさん知っている。ほとんどが、いわゆる「タゴール・ソング」(詩聖タゴールが作詞作曲した歌)。ものすごく一所懸命歌う。みんながみんな、歌の才能を持っている気がする。何人かが、私にいくつか歌を教えてくれようとしたけど、歌詞も分からないし、メロディーも難しいし、私はすぐに疲れて諦めてしまった。でも、子どもたちは疲れない。結局、声が枯れるまで、3時間以上も歌い続けていた。
1993年2月15日
驚いたことに、この村で会う人の誰もが、何らかの日本語を知っている。少なくとも、「こんにちは」と「さようなら」は。 何人かの子どもは、日本の歌まで知っている。こんな奥地で... 一体なぜだろう。
1993年2月16日
理由が分かった。このベタギ村に高校を建てた日本のロータリークラブ関係の人たちが、毎年ここへ視察旅行に来るたびに、日本の歌などを生徒たちに教えて帰るみたい。 チッタゴン港にある日本の会社に雇われている人も結構いるみたいだし。ここの人たちにとって、日本はまるで理想の国か何かのよう。日本人だというだけで、ものすごい憧れのまなざしで見られる。丁重な扱いを受ける。なんか変な感じ。
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