Bengal Report

1993年から1994年にかけて、バングラデシュとインド(西ベンガル州)に滞在した。いちおうベンガル語の学習という名目の「留学」だったが、本当の目的は、これら2つの国にまたがるベンガル地方の文化や自然を身体で感じることだった。とりわけこの地方の人々の信仰に興味を抱いていた。これはそのときの滞在記。

December 08, 2006

チッタゴンにて(3)

1993年2月17日

今ここは田植えの季節。いわゆる「冬米」。田植えの前の水田に、みんな何か白い粉のようなものを撒いている。聞くと、化学肥料だとのこと。これのお陰で米の生産量が格段に伸びたらしい。けど、一体、米の質の方はどうなんだろう。ここの米は何かすごく「軽い」ような気がする。栄養が欠けているような。日本で食べる量の3倍ぐらい食べてるのに、すぐにお腹が空いてしまう。ここの人たちは有機農業などにはあまり関心がないみたい。化学肥料みたいに「近代的」なものの方に魅力を感じるんだろう。

今日、この村の構造と村人をおおまかに把握するために、ベタギ村全体を歩き回ってみた。問題は、私が滞在している孤児院のスタッフ(小乗仏教の仏教徒)たちは、私ひとりで外へ行かせてくれないこと。いつも何人かの男の子がボディガードか何かのように付いてくる。この子たちが一緒だと、なんだかんだと絶えず質問してきたり、自分の家に連れて行こうとしたりして、何も見たり考えたりできない。今日も2人ついてきた。

私達がイスラム教徒の集落にさしかかったとき、2人が私に、「ここからはムスリムの村だけど、怖がらなくてもいいよ。大丈夫、彼らは何もしないから。ぼくの同級生だっているんだし」と、言ってきた。私は何も知らないし、何も怖くないのに。明らかに、彼らはムスリムを恐れている。この小さな仏教徒の集落はムスリムの多くの集落によって囲まれている。

結局、ムスリムの村でも、特に何も起こらなかった。彼らも皆親切で、愛想良く私を歓迎してくれた。でも、ひとつ気がついたのは、私はどうやら仏教徒と思われているみたいだということ。仏教孤児院に泊まってるからかな。宗教によって挨拶のことばが違うから、ムスリムの人たちは、私への挨拶の言葉に困っている様子だった。ここでは誰もが、この社会に存在する宗教的カテゴリーのうちのどれかに入れられてしまう。すなわち、多数を占めるイスラム教徒か、少数派の仏教徒、あるいはヒンズー教徒のどれかである。ということで、私は仏教徒らしい。無宗教という状態は、どうも説明不可能のよう。難しい。

もうひとつの問題は、私が日本から来たというだけで、女神か何かのように扱われるということ。これはすごくしんどい。どうにかして、この関係を打ち破りたいんだけど。でも、これも難しそう。どの家でもお茶とビスケットが出され、そのあと必ず、私の名前と日本での住所を紙に書かされる。それを済ませると、家の人は、偉いお坊さんにマントラでも書いてもらったかのように、大事そうにその紙をしまう。このような彼らの態度は、なんだかこわい。

気がついたこと。ここの人々の生活はかなり貧しいけど、首都ダッカで大量に見たような物乞いは、ここにはいない。物乞いというのは都会にしかいないものなんだろうな。

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