チッタゴンにて(4)
1993年2月18日
ここには蛍がたくさんいる。無数の星のように見える。大きな木など、まるでクリスマスツリーのイルミネーションで飾られたみたいになってる。こんな沢山の蛍、見たことない!
この村の人たち、真っ暗闇の中でもお互いが分かるという特殊能力を持っている。夜、道で誰かにすれ違っても、私には、相手が誰なのかまったく分からない。きっと何か視覚以外のもので判別するだろう。
村の構造は有機的だ。何軒かの小さな家が集まって、ひとつのいわゆる「パラ」(集落)をなす。その「パラ」内はほとんど親戚関係で結ばれている様子。このような「パラ」がいくつも集まって、ひとつの「村」となる。さらに、そのような「村」がいくつか集まって、このベタギ地区となっている。こういう構造に何かしら美しいものを感じる。こういうような美しさは、都市にはない。
ここの若い人たちと話をしてみて気がついたことは、若者のうち、読み書きのできる(=教育のある?)者たちは、彼らの伝統的な仕事、つまり百姓の仕事を継ぎたくないらしいということ。彼らはしきりに都市に出たがっている。日本の農家と同じ問題。でも、バングラデシュのように農業を主としている国にとっては、このような問題はかなり深刻なことにちがいない。この村には、沢山の無職の若者たちがいる。都会に出る機会をじっとうかがっているのだ。この村を訪れる外国人につきまとうのは、こういう若者たちらしい。
1993年3月1日
この孤児院に日本から送金することが、本当にこの人たちの助けになっているのだろうか、と最近疑わしく思えてならない。確かに、この援助のお陰で、孤児院の子ども達の健康状態は著しく改善された。でも、これではいつまでたってもこの孤児院が自立できない。それどころか、この孤児院を運営する修行僧たちの生活は、日本からのお金に依存して、どんどん贅沢になってしまっている。運転手付きのトヨタ製の大型車に乗り、電気を無駄遣いし(バングラデシュでは電気代はものすごく高い)、村の人たちが誰ひとりとして持っていないテレビを毎晩見て楽しんでいる。これだけでは飽きたらず、今度は川を使って移動するときのために、自分たち専用のモーターボートが欲しいなどと言っている!
まあでも、それもこれも単に贅沢のためだけではないのかもしれない。一種の自衛のための機器という面も持っているのだ。彼ら少数民族の仏教徒たちは、いつなんどきイスラム教徒に襲われるか分からないという恐怖感を、常に抱いている。この間も、チャクマ(チッタゴン丘陵に住む少数民族)の男性が、平地から来たイスラム教徒たちに殺されるという事件があったばかりだ。この恐怖感があるかぎり、彼らは外国からの援助金に頼って、何とか自分たちの身を守ろうとするだろう。でも、それを資金的に援助するのは、まるで、民族紛争を助長するために武器を輸出するのと同じじゃないかという気がする。外国人に一体何ができるんだろう。難しい...
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