シャンティニケタンにて(1)
写真(上)は、私が下宿することになった部屋のベランダからの風景。
もうひとつ(下)は、学園内にある、タゴールが住居にしていた建物。
もうひとつ(下)は、学園内にある、タゴールが住居にしていた建物。
1993年7月21日
とうとうシャンティニケタン。昨日ここへ来た。ダッカのAさんと、日本に、無事着いたことを知らせようと、郵便局から電話してみたけど、つながらなかった。連絡待ってるだろうに。
このあたりに電話をかけられる公共の場所は、たった2カ所だけ。しかも、その2つも、たいていは回線がこわれているそうだ。なんという場所! 手紙が唯一の連絡法のようだ。
1993年7月22日
自転車を買った。ここでは自転車は必需品。部屋も見つかった。或る大学教授の家に、バス・トイレつきの部屋を借りて住むことになった。これから自炊。
1993年7月23日
西ベンガル州全体がストライキ。色々と買いそろえなければならないものがあるのに、店という店はすべて閉まっている。困った。
1993年7月27日
明日から牛乳をとることにした。牛乳屋のお兄ちゃんは毎朝、アルミ製の牛乳缶をさげて自転車でやってくる。その大きな牛乳缶のひとつから直接、私の家の鍋に牛乳を入れてくれる。1リットル7ルピー半だから26円ぐらい。もちろん、加熱処理無しのしぼりたて。冷蔵庫がないので、1日最低2回は沸騰させなくてはならない。だから、はじめから鍋に入れてもらう。これ、大家さんの奥さんに教わったこと。
米1キロ12ルピー、紅茶100グラム9ルピー、シングルサイズの敷布団210ルピー。
1993年7月28日
甘すぎて食べられなかったあのベンガルのミルク菓子、最近だんだん好きになってきた。ションデーシュ、ロッショゴラ、チャムチャムなど。きっともうすぐ中毒になる。
1993年7月31日
タゴールが創始したこの学校、ヴィシュヴァ・バーラティでは、いま15人以上もの日本人が勉強している。分野は色々で、音楽や舞踊、哲学や言語、美術など。文化人類学のフィールドワークをしている夫婦もいる。
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