Bengal Report

1993年から1994年にかけて、バングラデシュとインド(西ベンガル州)に滞在した。いちおうベンガル語の学習という名目の「留学」だったが、本当の目的は、これら2つの国にまたがるベンガル地方の文化や自然を身体で感じることだった。とりわけこの地方の人々の信仰に興味を抱いていた。これはそのときの滞在記。

May 13, 2007

シャンティニケタンにて(1)


写真(上)は、私が下宿することになった部屋のベランダからの風景。

もうひとつ(下)は、学園内にある、タゴールが住居にしていた建物


1993年7月21日

とうとうシャンティニケタン。昨日ここへ来た。ダッカのAさんと、日本に、無事着いたことを知らせようと、郵便局から電話してみたけど、つながらなかった。連絡待ってるだろうに。

このあたりに電話をかけられる公共の場所は、たった2カ所だけ。しかも、その2つも、たいていは回線がこわれているそうだ。なんという場所! 手紙が唯一の連絡法のようだ。


1993年7月22日

自転車を買った。ここでは自転車は必需品。部屋も見つかった。或る大学教授の家に、バス・トイレつきの部屋を借りて住むことになった。これから自炊。


1993年7月23日

西ベンガル州全体がストライキ。色々と買いそろえなければならないものがあるのに、店という店はすべて閉まっている。困った。


1993年7月27日

明日から牛乳をとることにした。牛乳屋のお兄ちゃんは毎朝、アルミ製の牛乳缶をさげて自転車でやってくる。その大きな牛乳缶のひとつから直接、私の家の鍋に牛乳を入れてくれる。1リットル7ルピー半だから26円ぐらい。もちろん、加熱処理無しのしぼりたて。冷蔵庫がないので、1日最低2回は沸騰させなくてはならない。だから、はじめから鍋に入れてもらう。これ、大家さんの奥さんに教わったこと。

米1キロ12ルピー、紅茶100グラム9ルピー、シングルサイズの敷布団210ルピー。


1993年7月28日

甘すぎて食べられなかったあのベンガルのミルク菓子、最近だんだん好きになってきた。ションデーシュ、ロッショゴラ、チャムチャムなど。きっともうすぐ中毒になる。


1993年7月31日

タゴールが創始したこの学校、ヴィシュヴァ・バーラティでは、いま15人以上もの日本人が勉強している。分野は色々で、音楽や舞踊、哲学や言語、美術など。文化人類学のフィールドワークをしている夫婦もいる。

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