ボーパールにて
1993年10月21日
シャシャンクに伴われて、いま私はマッディヤ・プラデーシュ州(インド中央部)の州都、ボーパールという所に来ている。インドのど真ん中の州都なだけあって、ここにはインド各地から人が集まっている。パンジャーブ人、シンディ人、グジャラート人、マハラシュトラ人、ベンガル人など。イスラム教徒も多い。みんな、それぞれ彼らの故郷の文化を保って生活しているのが面白い。使用する家庭での言語はもちろん、家庭料理、着るもの、サリーの着方、既婚女性の印、容貌、気質、夫婦関係まですべて、彼らの出身地や宗教やカーストによって異なる。くらくらするほど多様だ。
1993年10月25日
インドでは、だいたい誰でも最低3つの言葉を話す。彼らの出身州の言葉(州は言語の違いによって分けられている)すなわち母語と、ヒンディー語、そして英語である。いわゆる多言語国家。ここでは他のグループの文化を知らなければ暮らせない。知らなければ一緒に食事もできない。そういう意味では、インド人は国内にいても、一種の国際感覚を身につけている、あるいは異文化に対する寛容性があると言えるかもしれない。国内で文化の多様性に触れる機会が少ない日本人は、意識的に努力しなければ、このような感覚はとうてい身につけることができないだろうと思う。
1993年10月27日
「私はインドでいろいろな経験を得たいと思ってシャンティニケタンへ来た」と言ったら、シャシャンクが「もし本当に経験を得たいのであれば、まず何らかの人間関係に巻き込まれてみなければならない」と言った。 「巻き込まれる」....どういう意味だろう。
明日、この小さくて、乾燥して、暑くて、何となく気だるい都市、ボーパールを発つ。
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