Bengal Report

1993年から1994年にかけて、バングラデシュとインド(西ベンガル州)に滞在した。いちおうベンガル語の学習という名目の「留学」だったが、本当の目的は、これら2つの国にまたがるベンガル地方の文化や自然を身体で感じることだった。とりわけこの地方の人々の信仰に興味を抱いていた。これはそのときの滞在記。

July 07, 2007

シャンティニケタンにて(7)

1993年10月29日

シャンティニケタンの日本人たちは、インド人は馴々しすぎると思っている。そしてインド人たちは、日本人は真面目すぎで、閉鎖的だと思っている。私自身も、時々インド人とつき合うのが、事実、面倒に感じられることがある。たった1回会っただけで、彼らは私のことを「親友」だとか、「お姉さん」だとか、ひどい場合には「ガールフレンド」などと呼び始める。

でも、それと同時に、彼らは困ったときとても頼りになる。彼らは他人のために自分の時間やエネルギーを費やすことを全くいやがらない。彼らが忙しいときでも、なんとか力になってくれようとする。彼らは自分と他人をあまり分けない。

そういえば、以前、私は日本で出会ったタイ人の友達についても、同じことを感じた覚えがある。


1993年11月5日

シャンティニケタンには、無職の人がおおぜいいる。西ベンガル州の雇用状況は、かなりひどいようだ。それにもかかわらず、みんなそんなに焦ったり、不安がったりしているようには見えない。無職の人たちも、それなりに家族や社会の中で自分の場所を得て、けっこう快適に暮らしているように見える。

ある意味、この社会には人手に関して「余裕」があるとも言えると思う。たとえば、誰かを空港まで迎えに行ったり、観光のための案内をしてあげたり、誰かの引っ越しを手伝ったりなどといった雑務は、ここでは何の問題もなくなされるが、日本ではそうはいかない。誰もが常に何らかの仕事に従事しているため、こういった雑務はお金を払って、業者に頼んだりしなければならないのだ。つまり、人手に余裕がない。あるのはお金だけ。


1993年11月9日

あと何ヶ月かすれば、私はここを離れなければならないと思うと、今からもう悲しくなってしまう。時々、日本に帰ってから社会に適応できるかどうか心配にもなる。生活のペースがあまりにもゆっくりになってしまったから。ここでは、洗濯をして、買い物をして、食事の支度をするだけで、一日が終わってしまうのだ。そして、それだけのことに、なぜか十分な満足感を覚える。日本ではとてもそうはいかない、ということを私は知っている。


1993年11月12日

外からここへ来た人は、誰も国に帰りたがらない。留学というのは、ここで暮らすための単なる口実にすぎない。目に見える形では、誰も(私も含めて)何も生産的な活動はしていないのであるが、それでも何故かみんな幸せそうに見える。シャシャンクは、これは一種の逃避主義だと言う。全快したにもかかわらず、退院しようとしない患者のようなものだと。

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