シャンティニケタンにて(7)
1993年10月29日
シャンティニケタンの日本人たちは、インド人は馴々しすぎると思っている。そしてインド人たちは、日本人は真面目すぎで、閉鎖的だと思っている。私自身も、時々インド人とつき合うのが、事実、面倒に感じられることがある。たった1回会っただけで、彼らは私のことを「親友」だとか、「お姉さん」だとか、ひどい場合には「ガールフレンド」などと呼び始める。
でも、それと同時に、彼らは困ったときとても頼りになる。彼らは他人のために自分の時間やエネルギーを費やすことを全くいやがらない。彼らが忙しいときでも、なんとか力になってくれようとする。彼らは自分と他人をあまり分けない。
そういえば、以前、私は日本で出会ったタイ人の友達についても、同じことを感じた覚えがある。
1993年11月5日
シャンティニケタンには、無職の人がおおぜいいる。西ベンガル州の雇用状況は、かなりひどいようだ。それにもかかわらず、みんなそんなに焦ったり、不安がったりしているようには見えない。無職の人たちも、それなりに家族や社会の中で自分の場所を得て、けっこう快適に暮らしているように見える。
ある意味、この社会には人手に関して「余裕」があるとも言えると思う。たとえば、誰かを空港まで迎えに行ったり、観光のための案内をしてあげたり、誰かの引っ越しを手伝ったりなどといった雑務は、ここでは何の問題もなくなされるが、日本ではそうはいかない。誰もが常に何らかの仕事に従事しているため、こういった雑務はお金を払って、業者に頼んだりしなければならないのだ。つまり、人手に余裕がない。あるのはお金だけ。
1993年11月9日
あと何ヶ月かすれば、私はここを離れなければならないと思うと、今からもう悲しくなってしまう。時々、日本に帰ってから社会に適応できるかどうか心配にもなる。生活のペースがあまりにもゆっくりになってしまったから。ここでは、洗濯をして、買い物をして、食事の支度をするだけで、一日が終わってしまうのだ。そして、それだけのことに、なぜか十分な満足感を覚える。日本ではとてもそうはいかない、ということを私は知っている。
1993年11月12日
外からここへ来た人は、誰も国に帰りたがらない。留学というのは、ここで暮らすための単なる口実にすぎない。目に見える形では、誰も(私も含めて)何も生産的な活動はしていないのであるが、それでも何故かみんな幸せそうに見える。シャシャンクは、これは一種の逃避主義だと言う。全快したにもかかわらず、退院しようとしない患者のようなものだと。
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