Bengal Report

1993年から1994年にかけて、バングラデシュとインド(西ベンガル州)に滞在した。いちおうベンガル語の学習という名目の「留学」だったが、本当の目的は、これら2つの国にまたがるベンガル地方の文化や自然を身体で感じることだった。とりわけこの地方の人々の信仰に興味を抱いていた。これはそのときの滞在記。

June 24, 2007

ボーパールにて

1993年10月21日

シャシャンクに伴われて、いま私はマッディヤ・プラデーシュ州(インド中央部)の州都、ボーパールという所に来ている。インドのど真ん中の州都なだけあって、ここにはインド各地から人が集まっている。パンジャーブ人、シンディ人、グジャラート人、マハラシュトラ人、ベンガル人など。イスラム教徒も多い。みんな、それぞれ彼らの故郷の文化を保って生活しているのが面白い。使用する家庭での言語はもちろん、家庭料理、着るもの、サリーの着方、既婚女性の印、容貌、気質、夫婦関係まですべて、彼らの出身地や宗教やカーストによって異なる。くらくらするほど多様だ。


1993年10月25日

インドでは、だいたい誰でも最低3つの言葉を話す。彼らの出身州の言葉(州は言語の違いによって分けられている)すなわち母語と、ヒンディー語、そして英語である。いわゆる多言語国家。ここでは他のグループの文化を知らなければ暮らせない。知らなければ一緒に食事もできない。そういう意味では、インド人は国内にいても、一種の国際感覚を身につけている、あるいは異文化に対する寛容性があると言えるかもしれない。国内で文化の多様性に触れる機会が少ない日本人は、意識的に努力しなければ、このような感覚はとうてい身につけることができないだろうと思う。


1993年10月27日

「私はインドでいろいろな経験を得たいと思ってシャンティニケタンへ来た」と言ったら、シャシャンクが「もし本当に経験を得たいのであれば、まず何らかの人間関係に巻き込まれてみなければならない」と言った。 「巻き込まれる」....どういう意味だろう。

明日、この小さくて、乾燥して、暑くて、何となく気だるい都市、ボーパールを発つ。

June 16, 2007

シャンティニケタンにて(6)

1993年9月9日

屋台でエッグロールと焼きそばを売っているトゥルという青年と友達になった。彼はビハール州からの移民2世。だから、家の中ではヒンディー語ではなし、外ではベンガル語ではなす。学校へは行けなかったみたい。でも、いちおう読み書きは出来るらしい。彼は詩を作る。ヒンディー語の詩。でもベンガル文字で書く。

このあいだ彼は、下働きの小さな男の子に、近くの店で砂糖を買ってくるように言った。雨が降っていたので、その子は嫌がった。すると、トゥルは、雨の中に出ていくことの素晴らしさを表現したタゴールの詩を暗唱して、その子に聞かせた。そして、その子は砂糖を買いに出て行った。なんという文化的な説得のしかた!

このトゥルという青年、裸の後ろ姿が惚れぼれするほど美しい。日々の肉体労働の成果だろう。


1993年9月12日

今日、マキシム(あのペルーからやってきた音楽家のおじいさん)をボルプールの町で見かけた。村の子ども達と両方の手をつないで一緒に歩いていた。ほかにも何人かの子ども達が一緒だった。みんな何だか嬉しそうな顔をして。そして、その少しあと、彼らが近くの池で泳いでいるのを見た。ここはお年寄りにとって、なかなかいい場所だと思う。子ども達がとても自然な形で年寄りを慕い、一緒に遊ぼうとする。


1993年9月17日

最近知り合った、シャシャンクというジャーナリストのおじさんに、ある教授宅でのホームコンサートに連れて行ってもらった。その教授の姪、そのほか4人の子どもたちが、インド古典音楽と、タゴールソングを歌った。みんな高校生。みんな真剣に聴き、真剣に批評する。ベンガルでは、「歌う」という行為がものすごく重要な意味を持っているようだ。


1993年9月20日

ここには変わった人たちが多い。国籍もいろいろ。今日キャサリンというドイツ人の女の子としゃべった。彼女は、「私は自分が何をしたくないかは分かるんだけど、何をしたいのかという点になると混乱してしまう」と言っていた。だから、今はとりあえず美術の勉強という口実でここに滞在しているらしい。ここにいる外国人たちは、私も含めて、みんなそんな感じだと思う。

June 04, 2007

シャンティニケタンにて(5)

1993年8月29日

今、スサントの店で物乞いのおばあちゃんとお茶を飲んでいる。わけの分からない言葉で私に話しかけてくる。ベンガル語ではない。はっきり分からないが、どうやらご飯をおごってくれとせがんでいる様子。

このおばあちゃん、茶店に来た学生から今、ケーキをもらって食べている。なんという嬉しそうな顔!なんとなく微笑ましい光景。歯がないから、笑うとなんともいえない、くしゃくしゃの可愛い笑顔を見せてくれる。

スサントが、彼女はサンタル人(ベンガル地方土着の少数民族)だと言っていた。


1993年9月2日

8月31日はマホメットの誕生日で学校は休みだった。