Bengal Report

1993年から1994年にかけて、バングラデシュとインド(西ベンガル州)に滞在した。いちおうベンガル語の学習という名目の「留学」だったが、本当の目的は、これら2つの国にまたがるベンガル地方の文化や自然を身体で感じることだった。とりわけこの地方の人々の信仰に興味を抱いていた。これはそのときの滞在記。

May 28, 2007

リキシャ引き


サルジュというリキシャ引きのじいさん。80歳をこえているらしいが現役。でも、上り坂(シャンティニケタンにはあまりないが)では、降りてあげないといけない。


シャンティニケタンにて(4)

1993年8月23日

昨日の晩、あるバウル一家の家を訪ねた。わらぶき屋根、泥作りの小さな庵風の家だった。彼らと、村人数人が、集落内にある、彼らいわく「お寺」(やはり粗末な小屋)に集まっていた。子ども達や犬もいた。みんな一緒にランプの光の中で歌ったり、楽器を鳴らしたりしていた。毎晩こうして歌うのだそうだ。こういう環境で育つと、きっとどんな子でも歌えるようになるだろう。3歳ぐらいの子どもが、音楽に合わせて上手に踊っていた。私には、リズムが難しすぎて、拍子を取るのもやっとなのに。

そして今朝、いつものようにスサントのお店で朝食をとってゆっくりしていると、バウルの親子がやってきて、その息子の方(わずか11歳!)が、ドータラ(2弦のギターのような楽器)を弾きながら歌った。すでにバウルソングのいい味を出している。

バウル... 面白い人たち。

(参考までに: http://www.neighborly.co.jp/explain.html


1993年8月25日

スサントの店の前に、いつもひとりの年老いた力車引きが止まっている。このじいさん、もう80歳をこえているのだそう。毎朝、花に糸を通して花輪を作り、せっせと自分の力車に飾っている。ボロボロのサイクルリキシャ(前に自転車がついた人力車)なので、ビニール袋をあげると喜ぶ。それでリキシャを補修するのだそうだ。

ようやく彼の名前を聞き出した。サルジュ。ビハール州から来たそうだ。インドで一番貧しい州。こうして近隣の州に出稼ぎに出て、そのまま帰らない人が多い。彼にも家族があったらしいが、病気で死んでしまったそうだ。いま独り暮らし。いつもパーン(噛みタバコ)ばかり食べている。たまに近くの茶店でご飯とカレーを恵んでもらっている。

彼はなかなかひょうきんだ。この間、スサントが道の反対側から、「じーさん、今日はまたええルンギ(腰布)はいとるなあ!」と叫ぶと、このサルジュじいさん、手を鉄砲の形にして、スサントをバーンと撃つ真似をした。素晴らしい!!<>

May 18, 2007

シャンティニケタンの風景

道ばたによくるタバコやさん。これは、私がときどきお世話になった「アショク食堂」脇に店を構える、ラームじいさん。彼の前にある、まな板のような台は、パーン(噛みタバコ)を作るための台。台の上で白い布を被せてあるのは、「キンマの葉」。とても面白い味のする肉厚の葉っぱ。これにタバコの粉、クローブやカルダモンなどのスパイス、ライム(石灰)の粉などを包んで売る。食べ過ぎた後など、これが欠かせないのそうだ。

こういうタバコ屋さんには、何でも置いてある。普通のタバコや葉巻はもちろん、石鹸、ヘアオイルなどの日用品から、ちょっとしたスナック菓子やキャンディ、さらにコンドームや避妊薬(!)まで。まさに何でも屋さんだ。世界一小さなコンビニかもしれない。夜になると、店の前面にふたをして、ひとつの小さな箱のように収まってしまう。ほんとに便利。

※写真をクリックすると、たぶん大きくなるので、色んなものが売ってあるのが分かるはず

よく留学生の溜まり場になっていた茶店。スサントという青年がここの店主。どこの茶店も店主はみな若い。こういう掘っ立て小屋を勝手に(?)建てて、周りにベンチをいくつか並べ、お茶など売り始めれば、もうそれは立派なレストランなのだ。店の前に止めてある赤い自転車が私の愛車。


近くのサンタル族の村で撮ったお気に入りの一枚。ヤギ、豚、犬の子どもたち。特にこのカメラ目線の子犬のつぶらな瞳が最高。

シャンティニケンタンにて(3)

1993年8月16日

こちらのベンガル人はバングラデシュのベンガル人を見下す傾向にあるように思う。私がバングラデシュに行っていたことを言うと、たいていの人が、「どうしてバングラデシュ(なんか)に?」と聞く。これは、私が日本にいたとき、インドに留学するというと、必ず、「どうしてインド?」と聞かれたのと全く同じトーンだ。


1993年8月19日

朝5時半。たくさんの中年夫婦が朝の散歩をしている。ヴィシュヴァ・バーラティでは、幼稚園から高校までは、朝の6時から始まり、昼ご飯前には終わる。暑い国ならではの、いいシステムだと思う。

ここでは動物たちが本当に可愛らしい。なんでもいる。犬、猫はもちろんのこと、ヤギ、牛、水牛、豚、羊、猿、リス、ロバ、ニワトリ、小鳥、トカゲ、ヤモリ、カメレオン!、そして私の大嫌いなヘビも。これらが、自由に、悠々と自分たちの時間を過ごしている。人間に会うよりももっと頻繁に、これらの生き物に毎日出会う。ここでは、人間も、これら多くの動物のひと種類にすぎない。


1993年8月22日

マキシムという名前の老人が私たちのベンガル語のクラスに加わった。おそらく彼は80歳近い。スイスで生まれ、チェリストになり、南米のペルーに30年以上いたらしい。スペイン語なまりの面白い英語で、子どものようにしゃべる。彼はここへ、タゴールソングを勉強しに、ひとりで来たのだそうだ。

May 17, 2007

シャンティニケタンにて(2)

1993年8月6日

洗濯をすべて手でやるというのは、なかなかの重労働。この社会にはまだ洗濯機というものは入ってきていない。たいていの家では使用人がやるみたい。


1993年8月7日

大家さんの奥さんにお昼ご飯をご馳走になった。ベンガルの家庭料理。豆のスープ、野菜のカレー、カボチャの花の天ぷら、ポトル(キュウリに似た野菜)のケシの実和えなど。美味しかった!(写真中央にあるのがポトル。ターメリックで炒めるとものすごく美味!)


1993年

ヒンズー教の神々のひとり、クリシュナの誕生日でお休み。ヒンズー教には神さまがいっぱいいて、いちいち休みになるから、ほんとに休みだらけ。


1993年8月11日

夕方6時頃から毎日停電。しかも長時間。蝋燭の光で料理し、ベランダに出て月明かりでそれを食べ、なるべく早く寝るという生活。

休日の多さと停電の頻繁さ、この2点はバングラデシュと西ベンガル州に間違いなく共通している。


1993年8月13日

ここ数日ずっと激しい雨が降り続いている。昨夜など、あまりにも激しい雨と雷の音とで眠れないほどだった。次の朝、起きて外を見てみると、家の前の畑が一晩で大きな池に変わってしまっていた。さっそく、朝早くから子どもらがそこで泳いでいた!

自然の威力というものの存在が、ここではとても大きく感じられる。

May 13, 2007

シャンティニケタンにて(1)


写真(上)は、私が下宿することになった部屋のベランダからの風景。

もうひとつ(下)は、学園内にある、タゴールが住居にしていた建物


1993年7月21日

とうとうシャンティニケタン。昨日ここへ来た。ダッカのAさんと、日本に、無事着いたことを知らせようと、郵便局から電話してみたけど、つながらなかった。連絡待ってるだろうに。

このあたりに電話をかけられる公共の場所は、たった2カ所だけ。しかも、その2つも、たいていは回線がこわれているそうだ。なんという場所! 手紙が唯一の連絡法のようだ。


1993年7月22日

自転車を買った。ここでは自転車は必需品。部屋も見つかった。或る大学教授の家に、バス・トイレつきの部屋を借りて住むことになった。これから自炊。


1993年7月23日

西ベンガル州全体がストライキ。色々と買いそろえなければならないものがあるのに、店という店はすべて閉まっている。困った。


1993年7月27日

明日から牛乳をとることにした。牛乳屋のお兄ちゃんは毎朝、アルミ製の牛乳缶をさげて自転車でやってくる。その大きな牛乳缶のひとつから直接、私の家の鍋に牛乳を入れてくれる。1リットル7ルピー半だから26円ぐらい。もちろん、加熱処理無しのしぼりたて。冷蔵庫がないので、1日最低2回は沸騰させなくてはならない。だから、はじめから鍋に入れてもらう。これ、大家さんの奥さんに教わったこと。

米1キロ12ルピー、紅茶100グラム9ルピー、シングルサイズの敷布団210ルピー。


1993年7月28日

甘すぎて食べられなかったあのベンガルのミルク菓子、最近だんだん好きになってきた。ションデーシュ、ロッショゴラ、チャムチャムなど。きっともうすぐ中毒になる。


1993年7月31日

タゴールが創始したこの学校、ヴィシュヴァ・バーラティでは、いま15人以上もの日本人が勉強している。分野は色々で、音楽や舞踊、哲学や言語、美術など。文化人類学のフィールドワークをしている夫婦もいる。