ダッカにて(5)
1993年5月28日
金曜日。休日。朝のテレビ番組で面白いのをやっている。子どものお話コンテストみたいな番組で、小学生ぐらいの子どもがひとりひとり、短い話をそらで語り、その語り方が上手か下手かを審査員が判断して、得点をつけていくというもの。もちろん母国語のベンガル語で。ちょうど、日本の落語みたいな感じ。内容は分からないが、最後に何かオチがあるような話みたい。みんなびっくりするほど上手。感情込めて、淀むことなく話す。表情も素晴らしい。長い話を完璧に暗記している。
次は、少し趣向が変わって、タブラ(インド音楽に使われる打楽器)の伴奏つきで、ラップみたいな語りをやっている。これも、なかなか面白い。きっと詩か何かなのだろう。
こんな番組、日本にもあればいいのにと思う。ここバングラデシュでは、口頭の文化がしっかりと生きている。そういえば、この国で会った人たちは、普通のなんということのない人たちも、しゃべるのがものすごく上手だ。
そのあとは、コーランの暗唱のための教育番組。これも、私には新鮮で面白い。
1993年6月8日
自分の生活レベルを下げることなく、貧しい人々に手を差し伸べる、というのがここの良心的な金持ちたちの基本的な考え方のようだ。
今日会った、あるお金持ちの男性が言っていた。「私たちはある程度お金があるからこそ、貧しい人々のことを考えなければいけないんだ。そして、お金があるからこそ、貧しい人々の役に立てる。お金がなければ、何もしてあげられない。」
彼がほんの少し、あの贅沢な生活の水準を下げるか、貪欲にお金を集めるのを減らすかするだけで、たくさんの貧しい人々が、今よりもう少しましな暮らしを営めるようになるのではないかと思う。彼は絶対にそんな風には考えないだろうけど。
もしかすると、今の日本って、この金持ちの彼のような考え方の国なのかもしれない。
1993年6月12日
バングラデシュ人は、自分の国にまったくと言っていいほど誇りを持っていない、ということに気がついた。これこそが、この国の何よりの弱点なのではないだろうか。パキスタンから独立する際に、あれほど誇りにし、それを言わば「武器」にして戦った彼ら自身の言語であるベンガル語にしてさえも、インドの西ベンガル州で話されるベンガル語の方が美しいなどと信じている。バングラデシュのベンガル語は田舎くさいのだと。なんて悲しいこと!彼らには、自信を持てることが何ひとつないのだ。